ニヒリズムとは何か?― 意味を信用できない人が、どう判断すればいいか

哲学

「意味があるから頑張る」「将来のために我慢する」
こうした前提は、多くの場面で当たり前のように使われている。
だが、すべての人がこの前提を自然に受け入れられるわけではない。

理由はうまく説明できないが、
その「意味」自体が信用できないという感覚を持つ人もいる。
それは怠けでも反抗でもなく、
前提そのものへの違和感だ。

自分の場合、この感覚は学生時代からあった。
周囲が当然のように信じている価値観に、
自然に乗ることができなかった。
努力や忍耐を否定していたわけではない。
ただ、それが意味を持つ前提を
無条件に信じることができなかった。

社会に出てからも同じだった。
会社員として働いた期間は一年ほどあるが、
仕事そのものよりも、
「なぜこの手順が正解なのか分からない」
という場面が多かった。
非効率さに対して、
合理的な説明が見つからなかった。

こうした感覚を整理する中で、
ニヒリズムという考え方を知った。
ニヒリズムとは、
絶対的な意味や価値が最初から存在するという前提を疑う思想だ。
何もかも無意味だと投げ出す考え方ではない。

多くの社会的ルールや成功モデルは、
後から人が作ったものだ。
それ自体が悪いわけではないが、
全員に当てはまるとは限らない。
意味が先にあると考えると、
それに適応できない人は
「間違っている側」に置かれやすい。

だが、意味が後付けだと考えれば、
合わないこと自体は異常ではなくなる。
ニヒリズムは、
意味を壊す思想ではなく、
判断を個人に戻すための前提だ。

この考え方を前提にすると、
判断基準が変わった。
意味があるかどうかではなく、
自分が納得できるかどうかを
基準に考えるようになった。

二十歳で起業したのも、
強い理想があったからではない。
組織の非効率さより、
自分で判断できる環境の方が
合理的だと感じただけだ。
正解かどうかは分からない。
ただ、意味を信じられないまま
他人の基準で動くより、
判断は安定した。

ニヒリズムは、
人生を楽にする思想ではない。
むしろ、選択の責任を
個人に突き返してくる。
逃げ場にはならない。

ただ、
「意味が分からない自分がおかしい」
と考え続けるより、
前提を疑った方が整理はしやすい。
これは正解を示す話ではない。
意味を信用できないままでも、
判断はできるという事実の整理だ。

 

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