哲学で有名な「トロッコ問題」。
1人を犠牲にして5人を救うか、何もしないか──。
AIがこの選択を迫られたとき、
“最適解”を出せても、“道徳的に正しい答え”は選べない。
なぜならAIには「痛み」も「罪悪感」も存在しないからである。
AIは数字の最小化を行うだけで、
「命の重さ」や「他者への共感」を感じることができない。
つまり、倫理とは数値化できない“人間の曖昧さ”に宿る概念だ。
「AIが間違った判断をした」と言いますが、
本来の責任はAIを設計した人間にあります。
どんなアルゴリズムも、人間が作った価値観の鏡に過ぎない。
これからのAI社会では、“倫理を教える”よりも、
“倫理的に設計する”ことが重要になります。
透明性・説明責任・公平性──。
これらはAIのためではなく、人間が安心してAIと共存するための条件です。
AIが正義を学ぶことはできても、感じることはできませせん。
しかし、私たちはAIを通して、自分たちの倫理観を見つめ直すことができる。
AIの発展とは、単に技術の進化ではなく、
人間がどこまで“正しく考える”力を磨けるかという挑戦でもある。
AIに正義を教えることは、
同時に“人間が正義を学び直す”ことでもある。
その隙間に勝てる方法があるとすれば
倫理、道徳だけなのかも。
まぁ今の感じだと無理そうかな。


コメント