違和感は消すものではなく、判断材料だった

タトゥー

長い間、違和感は消すべきものだと思っていた。
周囲と同じように考えられない自分を、
修正すべき対象だと捉えていた。

学生時代から、
「なぜ皆は納得できるのか分からない」
という場面が多かった。
だが、その理由を深く考えることはなかった。

社会に出てからも、
違和感は続いた。
組織の仕組みや、
共有される価値観に対して、
理解できない部分が多かった。

当初は、
自分が未熟なのだと考えた。
慣れれば解消されるものだと思っていた。
しかし、時間が経っても消えなかった。

そこで考え方を変えた。
違和感は問題ではなく、
「判断を止めるためのサイン」
なのではないかと。

違和感がある場所では、
即断しない。
違和感が少ない選択肢を選ぶ。
それだけで、
意思決定は安定した。

違和感は、多くの場合
「修正すべきもの」として扱われる。
周囲と同じように感じられないことは、
未熟さや適応不足だと解釈されやすい。

だが、違和感はエラーではなく、
判断を保留するための信号として
機能することもある。
無理に解消しようとすると、
判断の精度は下がりやすい。

違和感がある場面では、
即断を避ける。
選択肢を減らさず、
距離を取る。
それだけで誤った判断は減る。

違和感を前提として扱うと、
判断は遅くなるが安定する。
短期的な正解より、
長期的な整合性を保ちやすい。

違和感を消すことより、
扱い方を変える方が合理的な場合もある。

タトゥーに関しても同じだ。
周囲とのズレは生じるが、
判断基準は一貫している。
後悔はしていない。

違和感を消すより、
前提として扱う方が合理的だった。
これは正解を示す話ではない。
事実としての整理だ。

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