学生時代から、
自分はどこか「こっち側ではない」
という感覚を持っていた。
明確な対立があったわけではない。
ただ、周囲が当然として受け入れている前提に、
自然に同意できなかった。
人から教わる人生に興味が持てなかった。
誰かの成功モデルをなぞることに、
意味を感じられなかった。
努力や忍耐を否定していたわけではない。
ただ、その先に用意された正解を
信用できなかった。
社会に出てからも同じだった。
組織に対して強い反感があったわけではない。
だが、非効率な構造に対して、
合理的な説明が見つからなかった。
無駄な手順、
形式だけの確認、
責任の所在が曖昧な決定。
それらを前提として受け入れることが、
どうしてもできなかった。
その結果として、
二十歳で起業した。
特別な覚悟や夢があったわけではない。
その方が判断が早く、
無駄が少ないと考えただけだ。
この選択が正解かどうかは分からない。
ただ、「普通になろう」として
無理を続けるより、
判断は安定した。
社会には、
暗黙の前提として共有されている価値観がある。
進学、就職、昇進といった流れは、
疑問を持たずに受け入れる人が多い。
その前提に違和感を覚えると、
自分が間違っているのではないかと考えやすい。
だが実際には、
前提そのものが多数派向けに
設計されているだけのことも多い。
違和感を覚える人が少数派になるのは、
能力や努力の問題ではない。
前提との相性の問題だ。
この点を混同すると、
不要な自己否定につながる。
「こっち側ではない」という感覚は、
社会への不適合を示すものではなく、
適合を前提としない視点を
持っていることの表れとも言える。
違和感を消すのではなく、
前提を確認する材料として扱うことで、
判断は整理しやすくなる。
「こっち側ではない」という感覚は、
欠陥ではない。
社会の前提と合わないという、
単なる相性の問題だと今は考えている。
同じように、
理由は説明できないが
違和感を抱えてきた人にとって、
それは間違いではない。


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